少年時代


昭和24年7月13日
渡部一男・セツの長男として、旧大曲市土屋城(現丸の内町)に生まれる。

幼少の頃は、保育園や幼稚園にも入らず、ひたすら近所の子供達と遊びまわっていた。

向いのお姉ちゃんとのツーショット!(当時の民衆劇場の娘さんです) 

 


大曲市立大曲小学校に入学 

この頃から、同級生や近所の人達から“エボちゃん”と呼ばれる。
(英治のエイを取って、エイボ→エボになったと思われる)
この呼び名は、今も同期・同級生では定番となっている。

ちょっとだけ自慢すると、3ケタや4ケタの暗算が得意だった。それで頭が重い(?)せいか、よく頭から転んでいた。

 

 
中学・高校時代


昭和37年4月 大曲中学校へ入学(統合2期生)。
スポーツは何でも好きであったが、結局合唱部へ入部した。

 

3年生の時、念願の東北一となり、全国4位入賞。
現在ドイツで活躍している世界のバリトン小松英典氏は、同級生で合唱部メンバーの1人。
現在は音楽愛好家として、カラオケ同好会『愛唱会』の代表として活動している。


昭和40年4月 横手高校へ入学

青雲の志に燃え、学業に励む(?)。
電車通学のため、早朝、大曲駅から横手へ通学。
早弁と帰りの横手焼そばの味が懐かしい思い出。

 

中・高時代の同級生と駒ケ岳へ登山。

ひどい靴ずれで、同級生から助けてもらったことを思い出します。
皆で作ったカレーライスが美味かったことも忘れられません。
(実はもう1人写真を撮っている同級生がいます)

 

 

 
 
社会人になってから


昭和43年4月 東北電力株式会社に入社

猪苗代湖での新入社員教育で記念撮影。
(秋田支店入社の同期生と一緒)

1列目の左から2番目が私です。(若い!)

 


能代営業所に配属になり、新入社員らしく真面目に仕事している様子です。
営業と電気料金の担当をしていました。

 


昭和47年夏 東北電力秋田支店管内野球大会にて

優勝した能代営業所チームの一員として大活躍(?)
2列目の1番左のちょっと態度が大きいのが私。
この時は、代打サヨナラヒットを打った記憶があります。

 

大曲市議会議員


昭和62年4月 大曲市議会議員に初当選!

37歳で初挑戦した私に地元町内会や職場の皆様が総力を結集して応援して頂いたおかげで、トップ当選をさせて頂きました。
1702票は大曲市議会議員選挙の記録だそうです。
以来、大曲市議会議員を連続4期、秋田県議会議員を1期、その後4年間の浪人生活を経て、平成23年4月の県議選で、多くの皆様のおかげで返り咲く事が出来ました。

現在、県議4期目として、感謝の気持ちと初心を忘れず、チャレンジ精神で奮闘中です。

 

 
四十二歳 厄払い梵天


42歳厄払い梵天にて
当時の丸の内対川閣通り

昭和24年会の同期生の梵天奉納前の記念撮影。
この時の『同期の絆』が、渡部英治の原動力になっています。
これからも末長いお付き合いと、ご支援をよろしく!

 


私が生まれて、育てて頂いた大曲の西山。
ブルーノタウトも絶賛したこの風景は、四季折々の風情と、これまでの歴史と、今後の私達の行き先を見守っています。
(大曲の花火のキャンパスとしての役割が大きい)

 


右岸の丸の内地域は、大曲駅前の第二区画整理事業により、大きく様変わりしています。(写真上段)

また、丸子橋のたもとには同じく区画整理でなくなってしまった、あの有名な『着物の有坂』(花火の壁画が描かれた建物)がありました。(写真下段)

 

 
秋田県議会議員

令和元年4月、秋田県議会議員選挙にて無投票で当選。
現在4期目として感謝の気持ちと初心を忘れず奮闘中です。
街頭から熱く訴える!
県議4期目(会派みらい代表)

 

現在の役職
 ・大仙市防犯協会会長(大仙美郷地区連絡協議会会長)
 ・仙北漁業協同組合代表理事組合長
 ・ボーイスカウト秋田第52団委員長
 ・秋田県仙北平野土地改良事業推進協議会顧問
 ・大仙市サッカー協会顧問
 ・大曲仙北地区柔道連盟顧問
 ・大曲仙北地区労働福祉協議会顧問
 ・大仙市身体障害者福祉協議会大曲支部更栄会顧問